諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)は、1814年に完成した日本初の英和辞典で、およそ6000語の単語の発音が片仮名で記されています。

    江戸幕府が鎖国体制を敷いている時、イギリス船がオランダ船を装い長崎に侵入した
    「フェートン号事件」がきっかけとなり、幕府がオランダ語通訳らに英語習得を命じ、オランダ人ヤン・コック・ブロフォンの指導の元、本木庄左衛門が中心となり諳厄利亜語林大成を作り上げたとされています。

      
    ちなみに、日本に初めて上陸したイギリス人は、1600年に豊後(今の大分)に漂着した航海士のウィリアム・アダムスと言われており、この時、豊臣秀吉の政権時代で、五大老に一人だった徳川家康がその対応にあっていました。

    ウィリアム・アダムスらが乗るリーフデ号には、大砲や火縄銃、弾薬といった武器がつまれていたため、当初は、海賊かと思い拘束していたが、家康がアダムスからの話を聞き、その誤解が解けたと言われています。

    また、アダムスが上陸して約半年後、関ヶ原の戦いを経て、家康が江戸幕府を築くことになりますが、家康はアダムスを外交官として国内にとどめており、アダムスも三浦按針の日本名を名乗り、日本橋大伝馬町の名主で家康の御用商人であった馬込勘解由の娘と結婚しています。

    そのおかげもあり、江戸時代の日本にも英語が受け継がれ、鎖国時代に和英辞典をつくることも出来たのでしょう。