「井戸の茶碗」は古典落語の演目で、室町時代後期ころから、「高麗茶碗」の一種で、茶人から珍重された「井戸茶碗」が出てくる噺です。

    あらすじ
    正直者で屑屋(今でいう廃品回収屋)の清兵衛、通称「正直清兵衛」が、清正公様脇の裏長屋を流し歩いていると、身なりは粗末だが器量のよい17、8の娘に声をかけられる。
    招かれて裏長屋へ行くと、その父(千代田卜斎)から、屑の他に仏像を200文で引取ってもらいたいと頼まれる。
    清兵衛は、目利きに自信がないと一度断るが「長雨続きで商売ができず、加え病気の薬代がいるため引取ってもらいたい」と切願されたため、200文以上で売れた場合は、儲けの半分を持ってくると約束して引取る。

    清兵衛が、仏像を籠に乗せ目黒白金の細川邸の長屋下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門が「その仏像、カラカラと音がするから、腹籠りの仏像だ。縁起が良い」と言い、その仏像を300文で買上げる。

    高木が仏像を一生懸命磨いていると、台座の紙が破れ中から50両もの小判が出てきた。高木は「仏像は買ったが、中の50両までは買っていない。仏像を売るくらいであるから、暮し向きも逼迫しておろう。元の持ち主に返したい」と言う。
    しかし持ち主が分からないため、仏像を売った屑屋の清兵衛が長屋下を通るのを待ち、清兵衛に持ち主へ返すようにと50両を渡した。

    清兵衛は、高木に言われた通り千代田へ50両を返しに行ったが、千代田は「もう売ったもので私のものではない」と受取らない。
    渋々、高木へ持って帰るがこちらも受取らない。困った清兵衛は、裏長屋の家主に仲介に入ってもらい、千代田へ20両、高木へ20両、苦労した清兵衛へ10両と提案する。
    千代田はこの提案を断り続けて受取らなかったが、20両の形を何か高木へ渡すということで納得し、千代田が毎日使っていた茶碗を高木へ渡した。

    この美談が、細川家でも話題となり、細川様から「その茶碗を見てみたい」と言われる。
    高木は、汚いままでは見せられないと、その茶碗を一生懸命磨いて細川様へ差し出した。すると、側に仕えていた目利きが「[blue]井戸の茶碗[/blue]」という逸品だと鑑定したため、細川様はその茶碗を300両で買上げた。

    300両を前に「これは自分がもらうべきではない」と困った高木だったが、このまま300両を千代田に持って行っても受取らないと考え、半分の150両を渡すよう清兵衛に切願する。
    千代田はもちろん受取らないと断るが、困り果てた清兵衛を見て、千代田が「これまでのいきさつで高木様がどのようなお方かわかっているので、娘を嫁にめとって下さるのであれば支度金として受取る」と言う。清兵衛がその事を高木へ伝えると、高木は「千代田氏の娘であれば間違いないだろう」と嫁にもらうことを決める。

    そこで清兵衛が、
    「今は裏長屋で粗末な身なりをしているが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」と言うと、

    「いや、磨くのはよそう。また小判が出るといけない」

       
      

    「井戸の茶碗」は、以前に紹介した落語「猫の皿」とは少し違い、主な登場人物がすべて実直な善人というところからも、昔から明るい人情噺として人気があったのも分かる気がします。

    ちなみに、「高麗茶碗」は高麗時代のものではなく李朝時代のもです。
    ※写真は東京国立博物館、「大井戸茶碗」の資料写真です。

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