「有田焼」は17世紀初頭に始まりました。
17世紀後半になると有田焼を伊万里の港から輸出するようになり、「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。
つまりもともとは同じものなのです。
そしてそれぞれ、伊万里は御用窯、有田は大衆向けの器として発展していきました。
「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島」の3つの様式
古伊万里様式
赤や金の絵の具を贅沢に使った様式。
王族貴族の蒐集品として珍重されていました。
柿右衛門様式
乳白色バックに余白を残し、繊細な黒や鮮やかな赤、青、黄、緑などで花鳥風月を左右対称で描いた様式。ヨーロッパの窯業地へ影響を与えました。
鍋島様式
赤、青、緑を基調とし、青みがかった地肌や、裏文様に特徴があります。
将軍家への献上品として藩窯で焼かれました。
現在では、江戸時代に焼かれた古い伊万里を「古伊万里」と呼び、今現在伊万里市内で焼かれたものを「伊万里焼」として区別しています。
「古伊万里」はヨーロッパの王族に愛され、今でも世界中で「Old Imari」として大変人気があります。